方便為究竟

 最近、テレビで「パワースポット」の紹介等という番組が目に付きます。どんな番組かと見てみたら、大体、神社関係の案内が多いようです。どこどこの神社、或いは境内はパワーを感じるとかパワーに満ちているといった感じであります。
 元々、神社やお寺は神仏のお祀りされている所であり、そこには神仏の力が宿っており、又、祈る人のエネルギーも昔から沢山集積されているので当り前のことではないかと思います。
 それをことさらに取り上げてマスコミで紹介するというのは、信仰というよりも<人間を超えたある種のモノ>に対するあこがれ、欲求といったものが今の若い世代にも求められているのかと感じたりしました。
 ただ、この感覚が一歩、誤るとカルト集団のような事件を巻き起こすことも考えなくてはならないことだと思います。
 我々、真言宗では超人的なものを求めるのではなく、仏と一体となることが修行の目的とされています。
 修行の方法も仏教各宗派によって色々ありますが、真言宗の基本は修法といって仏と一体となれるような順序、方法が明記された次第(テキスト)に従い、口に真言・手は印契を結び、心を三摩地(仏の境地)に住すのです。(これを三密という)
 そして、その中のクライマックスは<入我我入>観というものです。これは「先ず仏が自分の中に入り、次に自分が仏の中に入る」と観想するものです。
 そして、修行者が仏と一体感を持った所で祈りを捧げるのです。
 そこには修行者の個人的な願い事は一切なく、世界平和、仏法興隆、人心安穏といった大きな人の幸せを祈るばかりの世界です。しかし、信者さんのお願い事が依頼される場合には身体健全、商売繁昌、良縁成就等の現世利益の祈りが行われるのです。真言宗ではこれを「方便行」と言います。即ち、諸々の個人的な願いを祈り、叶える行為をする、それを機会として、最後は仏道に導き入れるという意味を持っているのです。真言宗所依の経典である大日経には「方便為究竟」(ほうべんをもってくきょうとする)と書かれております。例え、最初は方便、方法であっても、それはそのまま最高の教え(究竟)につながるものなのだと教えています。
 ですから、私達は交通安全、商売繁昌等の現世利益の護摩祈祷を行うのです。この祈りはそのまま、仏へと向かう浄行なのです。
 話が長くなりましたが、パワースポットというのであれば、私は真言宗の祈りほどパワーとエネルギーに満ちあふれているものは他にないと信じています。
 皆様方も是非、大宇宙に満ち満ちている本尊さまのエネルギーを感じて幸せな生活を送っていただきたいと念ずるものです。

合掌
2010.04