花の命は短くて

 今年は、気候不順で四月は寒暖の差が激しく、一日で十度の差があることも度々あり、おまけに雪まで降りました。五月に入り、ようやく初夏らしい天気が続きホッとしている今日この頃です。
 お墓の入口に植えた何株かの牡丹(ぼたん)もたわわな花を咲かせています。あまりに見事なので、シャッターを切ってしまいました。
 牡丹といえば、近在では西新井のお大師さん(西新井大師)や上野公園内の東照宮が有名であり、今頃は丹精込めて育てた花が多くの人を楽しませていることでしょう。

 昔の女性を表す言葉で、「立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹 歩く姿は百合の花」という言葉があったのを想い出しました。理想の女性像を花に例えて言ったものだったと記憶しています。
 もう既に、死語になっている感じもしますが、改めて考えてみると、今の時代にも通用する表現なのかなとも思います。 可憐でふくよかで清楚な女性。まあ、これはいつの時代でも理想を追い求める男性の心情かも知れません。
 また、これらの花は日本画の題材としてもよく使われるもので、特に牡丹は多くの日本画の巨匠も好んで描いております。
 当山でも書院・客間の襖に、この度四季の花をテーマに日本画を描いてもらおうと、旧知の画伯に製作依頼したところです。完成した折には、檀家の皆さま方にも見て楽しんで頂けたらと思っております。
 花は何の雑念もなく無心に咲く。
 その心は人間の心よりも気高く貴い感じがします。
 また、散るべき時が来たら、ためらいもなく、一途に散っていく。(因みに牡丹の花の散るさまは、散るとは言わずに崩れるといいます。本当に崩れるようにフワフワッと散っていきます)
 最近の政治家に見倣って欲しい気がするのは私だけでしょうか。

合掌
2010.05