高麗山聖天院(こまさんしょうでんいん) 参拝の記

 10月7日(木)、かねてより念願であった埼玉県日高市にある聖天院・高麗神社参拝に行ってきました。
その途中、有名な巾着田(きんちゃくだ)がありました。
市内を流れる高麗川の蛇行により作られた形が巾着(きんちゃく)に似ているところから、巾着田と呼ばれる総面積22haに及ぶ平地には、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が群生して、辺り一面が真紅に染まっていました。

 曼珠沙華は、別名・彼岸花(ひがんばな)とも呼ばれ、秋の彼岸の時期に花を咲かせるのはご存知のことと思います。
 泉蔵院周辺も昔は沢山咲いていましたが、宅地開発と共に段々少なくなり、今は境内で見る他はなくなりました。
 彼岸花の地下茎にはでんぷんが含まれ、水にさらすと食用になり、昔は飢饉(ききん)に備えて田んぼのあぜ道に植えたと言われています。また、その球根の部分には、リコリンと呼ばれる有毒成分アルカロイドがあり、誤食すると神経麻痺や嘔吐等を起こすことが知られています。子供の頃、家人より火事花と言って、家の中に入れると火事になると言われたことを思い出しましたが、その有毒作用に注意する意味もあったのではないかと思います。
 一面、赤絨毯を敷き詰めた巾着田より車で5分程の所に、真言宗智山派・高麗山聖天院はありました。
 7世紀の中頃、朝鮮半島で700年に渡り盟主として栄えた高句麗は、唐・新羅の連合軍により滅亡するが、その時、国を失った人々は日本にも亡命し帰化をしたのです。
 その中に、高句麗の王族の血を引くといわれた高麗王若光は大和朝廷に出仕し、従五位下に叙せられ、現在の日高市を中心とする地域に設置された高麗郡の初代郡司に任命された。その若光が亡くなった後、念持仏であった聖天尊(しょうてんそん)を本尊として建てられたのが聖天院です。

 現在の聖天院は、全ての伽藍整備が終わったようで、山の中腹に建てられた間口十三間の本堂を中心に雄大なスケールを感じさせる荘厳(しょうごん)な佇まいのお寺であります。
 私は、聖天尊をお参りしたかったので、何処にお祀(まつ)りされているのかと捜しておりましたら、天堂ではなく本堂内左側にお祀りされていました。現在は不動明王(ふどうみょうおう)を本尊としているとのことでした。
 今から1300年以上前に、帰化した朝鮮民族の人々に思いを馳せ、現在も韓国人を始め、朝鮮系の人々がお参りされたり、色々な催物も開催されている話を聞き、民族の誇りや結びつきを改めて感じさせられました。
 それに較べて、我々日本人は戦後、民族の誇りといったものを余り考えたりすることが少ないように感じられます。敗戦により国家神道を中心とした民族的なものの考え方が否定され、民主教育の名の元に日本人としての誇りまで捨てさせられたと言ったら言い過ぎになるでしょうか。別に国唯主義を唱えようとしている訳ではなく、日本の歴史や文化を見つめ直し日本人としての誇りが持てるような、そんな教育がなくてはならないのではないかと思います。そして、それぞれの民族の誇りをお互いに認め合い大事にする。そんな中から真の国同志の和合が得られるのではないかと思います。
 それは、弘法大師の説かれた曼荼羅(まんだら)の思想とも合致するのではないでしょうか。

合掌
2010.10