愛染明王を造仏、勧請し奉らんと欲す

 本年正月より突如として「愛染明王」が頭の中から離れず、常に意識の中に在る状態となりました。平たく言えば「心引かれた」という感じです。それまでは特別の感情もなく愛染明王がどんな仏であるのかさえ詳しい知識もなかったのです。自分自身でもこれがどんな事を意味しているのか分らず、これが仏縁なのかと漠然(ばくぜん)と思っていました。
 そんな日々を1~2週間過ごしていた折、最近付き合いを始めた京都のある仏具店の若さんがひょっこり顔を出しました。そこで愛染明王について話をした所、現在ある関西のお寺が愛染明王を注文していて、もうすぐ完成すると聞き、スマホで撮ってあった写真を見せてもらいました。その像は、高野山金剛三昧院の仏をモデルに彫刻したものでした。これもまた不思議な縁であり、やはり当山に御祀りしなさいと言われているような気持ちになり、早速、仏像制作の話に移り、大きさ、姿、形等の尊容を検討することになりました。そして、この文を書いている現在、既に発注をし、今年の10月末から11月上旬までに完成する予定となっています。今でも非常に不思議な感じであり、この表現できないところが、いわゆる霊験といったものなのかと思ったりしております。
 愛染明王は、金剛薩た(た=土辺に垂:こんごうさった)が姿を変えた仏とされ、サンスクリット語では「ラーガ・ラージャ」です。「ラーガ」とは、赤色、愛欲の意味で愛欲染着の意を名としています。密号は「離愛金剛」~愛欲を離れ大欲に変化せしむ意です。つまり、愛染という名の通り、愛情、情欲を司り、愛欲貧染をそのまま浄菩提心(悟りの心)に変える力を持ち、煩悩即菩提を象徴した明王なのです。
 人間には様々な欲望がありますが、この欲望は人を滅亡へとかりたてる力を持つこともあるが、逆に生きていく上での活力源となり様々なものを発展、高める力ともなります。この両刃の剣である欲望のエネルギーを悟りを求めるエネルギーに浄化しようというのが愛染明王の教えです。正に密教の仏であると思います。
 その姿は宝瓶に活けられた蓮華座の上に、真赤な円相を光背にして結跏趺坐(けっかふざ)し、頭部には獅子冠(ししかん)を頂き一面六臂三目(いちめんろっぴさんもく)の忿怒尊(ふんぬそん)であります。六本の手には、五鈷杵(ごこしょ)、五鈷鈴(ごこれい=息災)、弓矢(敬愛)、蓮華(根本無明を降伏)を持ち、台座の赤蓮華は敬愛、宝瓶は増益の徳を表しています。しかし、その本質は「敬愛」ではないかと思います。西洋のキューピッドとよく喩えられたりもします。そして、六本の手は六道界全てを救う意であり、五鈷杵・五鈷鈴は金剛薩た、弓矢は金剛愛菩薩を象徴しているのであります。不動明王が胎蔵界を代表する明王であるならば、愛染明王は、金剛界を代表する明王であるといわれる所以であります。
 しかし、弘法大師によって日本に伝えられた愛染明王は、平安・鎌倉時代以降広く信仰されるようになりましたが、金剛界・胎蔵界の両部曼荼羅にその姿は描かれておりません。弘法大師が唐から伝来した「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)」の所説に基づき作られた明王なのです。この点は特異な仏であるといえます。
 以上、愛染明王について概略の説明を試みましたが、この明王は密教中の密教の仏であり、真言、天台でしか教理的には祀られないのではないかと思います。また、仏師の間では「愛染明王を彫ったら命をとられる」といわれるほど、ご利益がある代わりに恐ろしい仏であると言われております。この辺は聖天さまと同じ言われ方であり、共通している点も多いと思います。「愛染聖天」と言う名前の聖天さまを本尊として、特に「敬愛法」を以って祈祷しているお寺をネットで見た事がありますが、愛染明王と聖天さまの関係についてご存知の方がおられましたら、一報頂きご教示願いたいと思っております。

合掌
2013年4月10日