6月11日、1泊の予定で聖天尊の総本山と言うべき奈良県にある生駒山宝山寺を同信の者、5名で参拝してきました。近づいている台風の影響もなく天気に恵まれましたが、異常に湿気が強くむしむしとした天気の中、皆、本家本元の聖天さまに会うことを楽しみに京都より近鉄線を乗り継いで生駒のお山に登りました。
先ず、山門の階段下より続く御影石の奉納石柱の数の多さとそこに彫られた奉納金の額の多さに皆びっくり。改めて聖天さまのお力の偉大さを認識させられました。大鳥居をくぐり石段を上ると、そこからは山頂のあまり広いとはいえない境内を巧みに利用して作られた伽藍(がらん)が並んでいます。
「浄心」と書かれた水舎(みずや)で手を洗い口を嗽(そそ)ぎ、本堂にて本尊不動明王に灯明、線香をあげ参拝、そして、いよいよ隣にある聖天堂に入堂。皆、真剣な面持(おもも)ちで暫(しばら)くの間、心誦(しんじゅ)にてお参りしました。
天堂の中は沢山の方がお参りをしているので声を出してお経をあげることはできません。周りを見ていると聖天さまの信者は兎に角、真剣です。中には両手を天に広げて大きく呼吸をしている女性、只(ただ)ひたすら手を合せ祈り続けているひと、私は今回で4回目の参拝になりますが、一口で言うと「感応道交難思議(かんのうどうきょうなんしぎ)」の世界を感じます。「感応道交」とは、聖天さまと一つになる、結ばれるという意味です。そして、その聖天さまとの感応は我々の思慮を超(こ)えているのです。
天部信仰は、本道では無いなどと言う輩がおりますが、逆にそのように言う者こそ真言密教の本質を知らない者と私は思います。仏法の守護神である天部の諸尊も明王も菩薩も皆、本質的には如来と等しいのです。その本質を良く理解し得ない者は真言の僧侶とは言えないと思います。天部信仰こそ密教の真骨頂(しんこっちょう)であると信じています。
余談はさておいて、天堂をお参りした後、年輩者はお休み処で休憩し、その間、若い人2人は石段を更に上り奥の院へ参拝をしてきました。勿論、私は若いとはいえない年齢ですので暫くの間、涼風に当り一服を決めこみました。
その後、参拝を済ませた満足感に浸(ひた)りながら一路、京都へ。夜は親睦を兼ね東山の静寂な食事処で京料理に舌鼓(したづつみ)を打ち、楽しい一時を過ごしました。
翌日は、午前9時30分にホテルに愛染明王を制作依頼している仏具店の若さんが迎えにきて、仏師の工房で仕上がりを確認する予定となっていました。ここで他の2名と別れ我々3名は予定通り工房へ向い、早速、愛染明王と初対面となりました。まだ開眼されていない仏像なのに正面より見ていると背中がジーンときて、その迫力に負けそうな感じになりました。「手直しがまだできる状態なので何か注文はありませんか?」との仏師の問いに「全くありません。完璧な仕上がりです」と答えました。一緒にいた他の者も同感でした。
そこに居るだけで人を教化する、黙っているだけで何かを語りかけてくる仏像の本来の姿を感じたような気がしました。これより数ヶ月を掛けてお化粧の段階に入ります。檜木(ひのき)の木目細(きめこま)やかな地肌に、これから漆(うるし)を塗り彩色(さいしき)をかけ愛染明王本来の赤色に輝く姿となって我寺にいらっしゃるのは10月の上旬になるとのことです。
再会を約して、我々は智山派総本山智積院へ。同行の師の子弟が専修学院で4月より1年間の修行生活をしておられるので皆で激励の挨拶をして参りました。
その後、帰宅するにはまだ時間に余裕があるので、智積院と道を隔(へだ)てて反対側にある「養源院(ようげんいん)」へ参拝しました。この寺は、豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の追善のため建立し、長政の院号を寺号としたものであります。その後、火災にて焼失したので徳川秀忠が夫人お江与の方の願いにより伏見城の遺構を用いて再建したのが現在の本堂となっています。伏見城が西方(にしがた)によって落城した時、徳川方の鳥居元忠らが自刃(じじん)した廊下は供養のため天井に上げられ「血天井」として有名です。この他、俵屋宗達による杉戸絵、狩野派による襖、絵等、桃山時代より江戸初期にかけて活躍した画家による作品が多く残されており、「隠れた名所」と言ってもよい寺です。(私は若い頃より何回となく参拝に訪れました)
但し、今回我々がこの寺を訪れた理由(わけ)は、この寺に聖天さまがお祀りされており、その聖天さまは豊臣秀吉が伏見城で守り本尊にしていたもので、一目、お参りがしたかったからであります。ただ、残念なことに聖天さまは、御簾(みす)の奥深く祀られており、外陣よりひっそりとお参りをし、京都を後に致しました。
生駒に登り、愛染明王と対面し、総本山にて修業のお見舞い、そして秀吉公の念持仏を参拝と色々、内容の濃い1泊2日の旅でした。日頃、自坊での檀務と修法中心の生活ですが、たまに外に参拝に出かけることは、良い意味での刺激になり更に精進を誓う機会となりました。同行の者に感謝、多謝。
合掌
2013年6月16日