この度、当山では老朽化した閻魔堂を建て替えし、ボロボロに朽(く)ちた閻魔大王を修復することになり、約十ヶ月の期間を経て、無魔円成することができました。
この機会に閻魔天について些(いささ)か調べたところを記したいと思います。 閻魔大王・閻魔様は「閻魔天」のことであり、全国各地の寺院でお祀りされており、大概は唐(中国)の官服を着た、いわゆる地獄の裁判官の姿をしているものが多い。これに対して、密教における閻魔天像はインド様式の偏袒右肩(へんだんうけん)の姿であり、手には人頭杖(にんとうじょう)を取っている。閻魔天が中国に渡り、中国思想(道教)の影響を受け、陰陽道的な要素も加わったものと思われます。
元々、閻魔は「ヤマ」といわれ、人間のうちで最初の死者になったものをいうとされています。つまり、閻魔は「ヤマ」の音写であります。
閻魔天には八眷属(はちけんぞく)がおり、閻魔妃・閻魔后・五道大神・太山府君(たいさんぶくん)・七母女天・毘那夜迦(びなやきゃ)・成就持明仙・茶吉尼天(だきにてん)をいいます。この内、太山府君は閻魔十王の中、泰山王(たいせんおう)と呼ばれ十人の冥界王の一人に数えられるが、元々は中国の泰山の神で道教の神であります。 我々、智山派(幸心流)で用いる事相の次第にも出て来ます。 また、毘那夜迦は聖天様の実天(じってん:権実二天の内)であり、茶吉尼天は豊川稲荷(菖洞宗)で有名であります。 特に、毘那夜迦は聖天様ということで、閻魔天と縁日が同じ16日であります。
閻魔天の信仰は自分が死後、地獄へ落ちないためのものとされていますが、仏教の考え方からすれば、「地獄へ落ちるかどうかは全て自分自身の業(ごう)によるもの」であり、「地獄へ落ちないように精進する信仰」でなくてはならないというのが本道ではないかと思います。いわゆる、滅罪生善の精神であります。
この点が閻魔信仰の上で肝要なところかと思われます。元来、閻魔天供は延命を祈るものであるとされ、本地仏は地蔵菩薩とされるために「延命地蔵菩薩経」を読誦します。
真言は「オン エンマヤ ソワカ」 南無閻魔天
合掌
2013年12月