去る10月16日より17日、1泊2日の日程で上記3ヶ寺をお参りしてきました。1年に1度、聖天奉安寺院を同信の者で参拝しようという話が実現され、昨年の生駒聖天に続き今回2回目の参拝旅行となりました。
袋町聖天福生院(ふくしょういん)は真言宗智山派で著名な聖天寺院であり以前より1度は参拝したいと思ってました。
元々は愛知郡中村の里にあり清洲城主の信仰厚く興隆していたが、その後徳川氏の慶長遷府令により伽藍を現在の名古屋に遷(うつ)され、現在、益々盛況を呈しております。名古屋市の中心部(中区錦)ということで回りを高層ビルに囲まれた境内には本堂(聖天堂)を始め沢山のお堂が建ち並び、幟旗(のぼりばた)がはためく風景は正(まさ)に祈願寺院らしい密度の濃(こ)いお寺でありました。
当日は松平住職の特別な計らいで本堂内陣に参拝させて頂き、その後聖天信仰について色々お話を伺うことできました。又、奥さまにもお心遣いを頂き厚く御礼申しあげる次第です。
次にお邪魔いたしましたのは、名古屋栄の成田山 萬福院(まんぷくいん)であります。このお寺も元々は清洲の地に建立されましたが名古屋城の築城に伴う町作りの一環として名古屋栄に移転され、大本山成田山新勝寺より不動明王を勧請(かんじょう)され名古屋の不動尊霊場となった由(よし)にあります。
そして、12年前に名古屋の目抜き通りにあった場所から現在地に移転、すばらしく荘厳された本堂、伽藍は元より新たに造立された全長約3m、総檜木(ひのき)造りの不動明王を始め五大明王の大迫力に皆、圧倒されました。
ご住職の竹島僧正には色々おもてなしを頂き大感謝でありました。 益々の寺門興隆をお祈り申しあげております。
2日目に訪れたのは、名古屋市内よりレンタカーを借り高速道路を飛ばして約1時間、知多半島の南方に位置する鶴林山大御堂寺(おおみどうじ=通称 野間大坊(のまだいぼう))です。
このお寺は天武天皇の時代に始まり聖武天皇の時、行基菩薩が中興したと伝えられ、後に弘法大師が諸国行脚(あんぎゃ)の際、一千座の護摩を焚(た)き庶民の幸福を祈ったとされるお寺であります。
そして、承暦年間(1077~81)に白河天皇の勅願寺(ちょくがんじ)として大御堂寺と称せられました。後に源頼朝公が亡父義朝公の菩提を弔うために七堂伽藍を建立、秀吉公、家康公の庇護(ひご)を受けて発展。 現在、尾張地方随一の祈祷所として信仰を集めています。
本堂は徳川吉宗公寄進、山門は源頼朝公建立、鐘楼堂は鎌倉五代将軍源頼嗣公寄進等と約2万坪に及ぶ境内には国、県の重要文化財が建ち並び、特に悠紀殿(ゆうきでん)は昭和天皇即位の時に建てられた京都御所の建物の一部を下賜(かし)されたものです。
このお寺の由緒を伺うと歴史の生き証人としての思いを深く致します。
しかし、私達がこのお寺を訪れた理由(わけ)は、この永い歴史に包まれた大寺としての史実を勉強しにきたことではなく、このお寺の水野眞圓住職が真言宗豊山派の事相の大家(たいか)であり、特に聖天法に深い造詣(ぞうけい)をもっているからです。 大袈裟(おおげさ)に言わせて頂くと、聖天法の真髄(しんずい)を直接、水野住職よりお聞きしたかったからであります。
我々のこの思いを水野師は知ってか知らずか快く迎え入れて頂きました。 特にご自身で編(あ)み出された独特の護摩祈祷に随喜させて頂いたり、毎日浴油供を修されている聖天さまの天覆(てんぷく)を取り我々の目の前で直接拝ませて頂けたのにはビックリ。
皆一様に感激し、聖天さまに対する水野師の一途(いちず)で直向(ひたむき)な姿勢に頭が下がる思いでした。約5時間にも及ぶ長い時間、お付き合いを頂き、昼食には奥さまお手製のお蕎麦(そば)までご馳走になり大変恐縮致しました。
3ヶ寺、それぞれ歴史も伝統も又、その寺の置かれている環境も異なるものでありますが、今回共通しているのは皆、祈願寺院でありました。そのせいか分かりませんが、住職の人柄は三者三様の魅力に溢(あふ)れ、更に寺庭(奥さま)のお寺を訪れる人への心配り、優しさというものに深く感じ入りました。と同時にお寺の有り様(ありよう)を今更ながら考えさせられました。生きた寺の有り様(ありよう)とは?2日間の出会いに深謝致します。
合掌
2014年11月1日