6月の梅雨の合間(あいま)を利用して聖天尊奉安寺院巡りをしてきました。
先ず最初は6月10日、千葉県野田市にある天台宗東正寺に参拝しました。参拝予定の前には必ず手紙でその旨を記し先方のご都合を伺った上で出向くようにしています。突然の訪問は失礼であることと、できれば住職とお会いしてお話を伺いたいからでもあります。
こちらの聖天さまは三体お祀りされており、その中の一尊(いっそん)は頭に蛇(へび)が彫刻されている「蛇冠(じゃかん)の聖天さま」という大変、珍しいものです。ご住職はまだお若いのに、毎月7日間浴油祈祷を厳修され、また自ら歓喜団(お団)を作ってお供えされるなど大変、熱心な御給仕をしておられます。約1時間程の参拝でありましたが、聖天さまを直接お参りさせて頂き、又、お互いに精進を確認し合えるような和(なご)やかな時間でありました。距離的に近いこともあり、再度の参拝を依頼してまいりました。
次にお参りしたのは6月18日より19日の行程で岩手県盛岡市にある真言宗豊山派永福寺にいってきました。この寺の創建は西暦794年、坂上田村麻呂によって建立され南部氏の祈願寺として栄えてきました。特に南部氏が居城を盛岡に移したことに伴い、盛岡城の鬼門鎮護(きもんちんご)の祈願寺として、寺領八百石、約三万坪に及ぶ境内をもつ盛岡藩の筆頭寺院でした。しかし明治初年の神仏分離、廃仏棄釈によってわずかな坊一つのみを残すこととなりました。 その後の多難な時期を迎えながらも、多くの先師住職による苦労、努力の甲斐があって「聖天の御山」の法流(ほうりゅう)は受け継がれ、現在でもその威光が発揮されております。
当日、前もって連絡、約束した時間に伺い、本堂を参拝、法楽の後、庫裡にてお茶の接待を受けました。残念ながらご住職は5年前に遷化(せんげ)されましたが、現在は奥様によって法灯が護られています。先代住職は大変、護法の念、篤(あつ)い方で一日に三座の浴油供を修し、又、一座ごとのご本尊は別々であったとのお話は、聖天供養の深さを見せつけられた感じがしました。並みの人間ではできない信仰の強さ、深さを垣間見る思いでした。残念ながら浴油堂の中はお参りできませんでしたが、次の機会に期待をしています。
今回の一泊の旅も同信同行の者と楽しい時間を過ごすことができました。歓喜天の「喜とは人の喜び」をいい「歓とは人の喜びを共に喜ぶ」ことであると聞きましたが、「他人も喜ばせ自分も喜ぶことのできる人」、それが真の聖天信者であることを心に置き信仰を深めていきたいと思います。
合掌
2015年7月1日