当山の鎮守(ちんじゅ)は寺より20m位先にある毛長神社(毛長川発祥の地)です。寺の縁起によれば、毛長社と当山は開創を一つにしており明治時代前は毛長社の別当でした。
このような訳で修法する時、「神分祈願(じんぶんきがん)」では鎮守「毛長大明神」と唱えております。
ここで改めて「鎮守」をネットで調べると次のような説明がでてきました。
① 鎮守神(ちんじゅがみ)は、特定の地域や建物を守護するために、その地域の一角に祀られる神。 鎮守の考え方は、中国大陸から伝来したもので寺院の伽藍を守護する神が起源である。
② もともと大乗仏教の護法善神の思想より寺院の守護神として勧請(かんじょう)したもので、興福寺の春日明神、高野山の丹生(にう)明神、比叡山の山王権現、東寺の鎮守八幡宮など多くは寺院の建立以前からの地主神(じぬしがみ)を改めて祀った。~とあります。
又、真言宗では弘法大師が唐の青瀧寺において、恵果和尚より金胎の両部大法を付法伝授され、その青瀧寺の鎮守が清瀧権現であり、その後日本に渡り醍醐寺の守護神となったので醍醐系の寺院では清瀧権現を鎮守として祀る寺院があります。(川崎大師、成田山など)
私の寺では毛長明神を鎮守としながら境内北東の鬼門に聖天堂を建立し、仏法興隆と寺門の興隆を併せて祈願しています。これも広い意味で鎮守ということができるのではないかと思います。仏法守護神を祀り本尊をお護りする。
浅草の観音さまの鬼門には待乳山(まつちやま)聖天が祀られており、江戸城の鬼門には寛永寺が建立され、平城京では東大寺が、平安京の鬼門には延暦寺と、広義の鎮守の考え方?(鬼門除け)は沢山見受けられます。
このように見てくると、どの寺にも鎮守は必要なのではないかと思います。神祇でも天部の神さまでも何かお祀りしたほうが良いと思うのです。(※浄土系寺院は考え方が違うので別にして)
昔は農家さんの屋敷にはお稲荷さんが祀られていました。又、会社のビルの屋上にも鳥居と社殿が今でも見ることができます。お寺にも何かしらか縁のある鎮守(守護神)をお祀りすることは大事なことではないかと思うのです。人法繁昌のために。
合掌
2017年01月15日