京都・鎌倉の寺々~参拝記

 5月24日より1泊2日にて京都 六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)、因幡薬師(いなばやくし)堂平等寺、更には鞍馬(くらま)寺、山崎聖天観音寺、御蔵山(みくらやま)聖天宝寿寺を「歓喜天参拝の会」(4名)でお参りしてきました。
 六波羅蜜寺は西暦951年、醍醐天皇第二皇子 空也(くうや)上人により開創された西国第17番の札所であり 平家一門の史蹟としても著名な寺であり、平安、鎌倉期重要文化財の宝庫と謂(い)われています。
 特に空也上人立像を始め、平清盛像、運慶(うんけい)、湛慶(たんけい)像、運慶作地蔵菩薩像、定朝(じょうちょう)作地蔵菩薩像等、国宝の本尊十一面観音を除く国の重要文化財が宝物館にずらりと並んでいる姿は誠に圧巻でした。
 今回は我々と同じ真言宗智山派の誼(よしみ)で、普段は信者さん以外、入れない聖天堂を特別に参拝させて頂きました。
 まだ、新築して間もない天堂は、朱色と黒色のみが使われ屋根と堂内の壁にはチタンが張られ、又、入口の扉には宇宙法界を表す截金(きりかね)による図柄が描かれております。 恐らく全国で一番、豪華絢爛な天堂であると言えるのではないかと思いました。
 又、天尊も金天、そしてプラチナ天もお祀りされていると伺い、金天は兎(と)も角、プラチナ天というのは初めて聞き、皆、驚きを隠せない表情でした。
 ご住職の川崎僧正より先代住職よりの浴油供にまつわる貴重な話を伺いましたが、名刹を管理、維持していくご苦労や回りに対する細やかな配慮等も感じさせて頂きました。
 次に伺ったのは六波羅蜜寺より車で10分程の、因幡薬師堂平等寺です。 長野善光寺の阿弥陀如来、京都嵯峨(さが)の清涼寺(せいりょうじ)と共に「日本三如来」とい謂われる薬師如来は人々を病気や苦しみから救う現世利益の仏であり、病気平癒、特に「がん封じの寺」として、ご祈祷を依頼する人が後を断たないそうです。
 「約1千年前、敏達天皇の子孫 橘行平(たちばなのゆきひら)が海底から引き上げた薬師如来を供養し病が平癒(へいゆ)したことより屋敷をお堂に造り変え、このお堂を因幡堂と名付けた」のが縁起であります。 この本尊薬師如来は、釈迦如来、如意輪観音と共に国の重要文化財となっています。
 こちらの寺も真言宗智山派であり、ご住職の大釜僧正にお話を伺う機会を頂きました。 折りしも丁度、本堂の修理工事の前で、仏像の一時保管作業のため大変、慌(あわ)ただしい中でしたが、聖天法について見識を伺うことができました。
 六波羅蜜寺、平等寺共にご住職は毎月、聖天浴油法を厳格に修されております。

 翌日はメンバーの水野僧正の希望により鞍馬寺に登ってきました。最初の予定ではケーブルカーがあるので、それに乗るつもりでいましたが到着すると「本日は定期点検のため休業」とのこと。
 少しがっかりしましたが、「身を清めるために歩いてあがってこい」との仏さまの教示かなと思い、皆で汗を拭(ぬぐ)いながら約40分、入口で借りた杖(つえ)を頼りにあがってきました。
 鞍馬弘教(古神道、密教、浄土教、修験道など多様な信仰の流れを統一)総本山である鞍馬寺は山域全体が大自然の宝庫であり、ことに義経伝説(牛若丸)が有名です。
 又、宝物館には等身大の毘沙門天(4体)がお祀りされており、北方を護る神として京都を守護しておられます。

 鞍馬寺を下りてから、まだ時間に余裕があるので聖天寺院2ヶ寺をお参りしました。
 豊臣秀吉と明智光秀の主戦場(天王山)となった山崎にある観音寺(単立真言宗)は京都市内を遠くに見下す山中の高台にあり、聖天祈祷の寺として有名です。本堂の左にある聖天堂には浴油堂が奥に連(つ)らなっています。平日ということもあり参拝者は我々以外誰もいず、閑散としていました。

 最後に行った宇治にある御蔵山聖天宝寿寺(天台宗)は寺歴の浅い寺で、聖天行者で有名な故小松玄澄師の開山になる寺です。こちらも参拝者に会うことなく、一般の寺と違う聖天寺の特異性を感じました。
 大勢の信者よりも少人数でも一人々の信者の要望に対処していく聖天寺の雰囲気を感じました。

 引き続いて5月28日、鎌倉にある明王院を訪れました。正式には真言宗御室派飯盛山寛喜寺明王院といい鎌倉市十二所にあります。
 鎌倉幕府四代将軍藤原頼経により建立され、幕府の鬼門に当たる十二所に鬼門除けの祈願所として五大明王をお祀りしたのが縁起です。
 本尊の不動明王は鎌倉時代の仏師、肥後別当定慶の作と推定されており、像高84cm、十九観様式によるものであります。
 本堂と庫裡は茅葺(かやぶ)きで後ろに山をかかえた誠に鎌倉らしい寺です。
 毎月28日、午後1時より本堂で護摩法要が行われ、その時だけ本尊不動明王を直接、拝することができると聞き、皆でお参りに出かけました。約50~60人で一杯の本堂では参拝者にお経本を配り、全員で約50分程、お経を唱えました。全員参加型の法要でした。

 京都、鎌倉と参拝の旅が続きましたが、皆、多忙の中を調節しながら時間を作る、謂(い)わば「忙中、閑(かん)あり」であり楽しみの一時でありました。
 次回はどこに行くのか、聖天さまのみぞ知るかな。

合掌
2018年06月20日