四国聖天尊参拝

 11月19日より1泊2日で四国の聖天奉安寺院をお参りしてきました。
 先ず羽田空港より松山空港へ朝9時に降りたち、レンタカーを借り松山市にある繁多寺(はんたじ)へ。こちらは四国札所50番、真言宗豊山派、本尊薬師如来であり、本堂に向って左側に鳥居、そしてまだ建て替えたばかりのような立派な聖天堂があります。 徳川4代将軍家綱公の念持仏3体の1つである歓喜天尊が祀られています。
 境内はまだ時間が早いので人気(ひとけ)はなかったのですが、1人、まだ若いフランス人(勝手な想像ですが)かと思えるような女性が白衣にすげ笠、金剛杖を手に休憩していました。遠い国から独り旅のようで、会釈をしたらニッコリ微笑(ほほえみ)を返してくれました。

 次に向かったのは、伝説の聖天行者である高野山真言宗大僧正、故三井英光師が住職をしておられた神宮寺(じんぐうじ)です。
 松山道(高速道路)を走り途中から今治(いまばり)自動車道に入り、約1時間、西条市にあります。本堂の外より法楽を捧げ、三井大僧正の思いに耽(ふけ)った後、墓地に師のお墓を見つけ、皆で合掌、回向を申しあげました。師は60歳の頃より90歳まで聖天浴油供をされ、後進の者に伝授をされてこられました。

 神宮寺を後に次に向う善通寺へと走る間、昼食の時間となりネットで調べた讃岐(さぬき)うどんの店へ。小さなセルフサービスの店でしたが、やはり本場。うどんの味は格別であり、大きなイカ天や昆布天等のトッピングも美味しく、又、格安の料金であり、皆、大満足でした。
 松山道から高松道へと進み善通寺に到着。久しぶりの善通寺参拝でしたが、この寺は来る度(たび)に新しい建物が増えています。聖天堂は前の場所から現在の場所へ移った時、大きく立派なお堂に建て替えられました。扉を開けて、内に入り法楽の後、本堂、大師堂等を巡拝しました。その後、鳳閣(ほうかく)寺聖天を参拝した後、ホテルへ。

 翌20日は朝8時30分に出発、八栗寺(やくりじ)へ。山の麓(ふもと)からケーブルカーにて上がるこの寺は真言宗大覚寺派、本尊聖観音、開基は弘法大師、八十八ヶ所85番の寺です。
 聖天堂の本尊は伝弘法大師作であり、「八栗の聖天さん」と親しまれています。天堂の外陣に入り法楽。結界である金網があるので内陣全ては見られませんでしたが、金泊の絵や彫刻等、素晴らしい荘厳(しょうごん)でした。
 又、「お迎えの弘法大師像」より見る下界の景色はすばらしいものでした。

 八栗寺を後にして、高松道より高知道へ車を走らせ、山、山、山の景色を眺めながら次にめざしたのは、高知県大豊町にある定福(じょうふく)寺。こちらは真言宗智山派の寺で「粟生(あわお)聖天」といわれています。
 山深い、切り立つような斜面に建つ本堂。紅葉(もみじ)の葉が参道一面に舞い落ちる中を庫裡に案内されご長老 釣井龍宏僧正より寺の歴史や昔の苦労話を拝聴致しました。その後、本堂にて聖天尊に法楽。特に、戦中戦後の時代、浴油のごま油が手に入らず、山に生えている椿(つばき)等の実より油を採取したり、大根がないので種をお供えした話等、苦労に苦労を重ねながら仏さまにご供養を続けてこられた当時の状況に思いを馳(は)せました。
 現在、御年83歳になられる釣井僧正は矍鑠(かくしゃく)としておられ現在でも毎年11月10日より16日までの7日間、1日3座にわたる聖天浴油供をお勤めになっており、毎月1日と16日は華水供をご修行されておられるとのことでした。浴油供が了(おわ)ると3kg程、体重が減るというお話、体重が減る程、大変であるが、了った時の満足感は何ものにも代(か)えがたいというような話を聞き、皆、師の仏さまに対するひたむきな思いに感じ入りました。
 特に、定福寺において70年ぶりの男子誕生(お孫さん)を大変、喜ばれ、感謝と記念に聖天壇を新調したいと発願されたら、またたく間に信者さんの寄付が集ったというお話は心に残りました。

 定福寺より再び高知道へ入り、今回、最後の参拝寺である竹林寺へ。
 四国霊場第31番札所である真言宗智山派五台山竹林寺は名跡であり杮葺(こけらぶき)の本堂は国重要文化財、25年に1度葺(ふ)き替えをすることになっており費用は1回、2億円とのことです。又、本坊も国重要文化財の指定となっており、将来、解体修復作業の予定であるそうです。
 整備された境内の管理を始め、現在の建物を含めた景観を将来に引き渡すための苦労は並大抵のことではないと海老塚和秀住職のお話より伺い知ることができました。
 本堂(文珠堂)にて法楽、住職より説明を伺った後、聖天堂を参拝。
 皆で法楽の後、海老塚住職の心のこもったご案内に御礼を申しあげ、高知空港より無事寺へ帰着いたしました。

 松山より高松、高知までの全行程、約500kmの小さな旅でした。

合掌
2018年12月01日