この度、宗祖弘法大師 空海上人のお像(坐像)を新しく造り、新里不動堂にお祀りするべく発願いたしました。
来る令和5年(2023年)が弘法大師ご誕生1,250年に正当(せいとう)するため、その報恩謝徳記念として造立したいと思った訳ですが、考えてみると、この不動堂を建立しようと思った当初より本尊に不動明王、脇士(わきじ)に愛染明王、そしてお大師さまをお祀りしたいと漠然(ばくぜん)と思っていました。(本堂には弘法、興教両大師がお祀りされています。)その意味を深く考えることもなく。
今、不動堂が完成し本尊不動明王、愛染明王をお祀りし、更にお大師さまをここにお祀りするべきか改めて考えていた時、「弘法大師御影(みえ)の秘密」(山路天酬著)を読む機会に恵まれました。
この本は「お大師さまの御影」を解説したもので、その中から抜粋すると「右手の金剛拳(こんごうけん)にて構える五鈷杵は五鈷金剛杵といい、金剛界曼荼羅を表し、煩悩を摧破(さいは)する智徳の「愛染明王」(第1右手の持物)を意味し、また、左手の胎拳(たいけん)にて構える念珠は大悲を蔵する理徳の「不動明王」(左手の羂索(けんさく))を意味するのです。
そして「金剛界愛染明王」と「胎蔵不動明王」は理智不二(りちふに)、不二一如であり、その不二一如の尊体を表示したものが「如意宝珠(にょいほうしゅ)」であり、お大師さまの頭頂と後頭部の突起によって象徴されるのです。
つまり、お大師さまは、右手の五鈷杵と左手の念珠によって、ご自身が如意宝珠であると観想した上で、あのような構えをされたのです。」と。又、「このことはお大師さまの御影を語る上で秘奥のお話となります。つまり、御影に秘められたご誓願そのものに関わるものであることとお心得ください。」と前置きされています。
私は今までお大師さまの御影にこのような意味があると考えたことはなく、この本によってお大師さまと不動明王、愛染明王との関係を知ることができました。(皆さんもお大師さまに興味のある方は一読するとよいと思います。)
これでやっと漠然(ばくぜん)とした思いが裏付けられた気持になり、何故、不動堂にお大師さまをお祀りしたいのかが分った気持ちになりました。いわばお祀りすべく導かれているのだと感じました。不動、愛染、弘法は一如なのです。
そこで次に仏師に彫刻を依頼する訳ですが、仏師にお大師さまの尊容(そんよう)を理解してもらい、私自身の思いのお大師さまをお造り申しあげたいと思いました。そのためにはモデルが必要となります。 お大師さまのお姿は「御影」は多くありますが、古いお像はそれ程、多くはないようです。東寺、法隆寺,六波羅蜜寺など。その基本は「真如(しんにょ)様式」※1 が殆んどですが、お顔や体つき、法衣、五鈷杵や念珠についても同じように見えても、それぞれ細部は異なっています。
そこで色々、調べた結果、高野山にある「萬日大師(まんにちだいし)」※2 のお姿をモデルとすべく仏師にお願いいたしました。 きりっとした端正で凛々(りり)しいお顔立ちの中にも優しい表情が素晴らしいお姿です。
また、尊像の大きさについても検討しました。本尊不動明王が聊(いささ)か大きいので、これに調和する大きさ。あまり大きすぎず小さすぎず。
これらを検討した結果、3月21日(お大師さまのご縁日)に京都にある田平製造所に正式に依頼することといたしました。
これより約1年をかけて制作することになります。途中の経過はここでまた報告できたらと思います。
※1 真如様式とは「お大師さまの弟子である真如親王(799~865年、平城天皇の第三皇子 高丘親王、お大師さまの十大弟子の一人)が描かれたために、このように呼ばれております。また高野山にて描かれたお大師さまの最初の御影でありますゆえ、これを「高野様式」とも呼んで高野山御影堂にお祀りされ、正真のお大師さまとして崇拝されているのです。」~「弘法大師御影の秘密」より
※2 萬日大師とは「高野山に伝わる不思議な話。ある行者がこの弘法大師像を三十年以上、毎日礼拝していた。その一万日目、行者の夢に弘法大師が現れ、優しく顔を向けて「萬日の功、真実なり」と語りかけられた。目覚めた行者が大師像を見ると、なんと弘法大師像が首を左に向けておられた。以来、この大師像は一万日目の万日から「萬日大師」と呼ばれるようになった」ということです。
今も高野山に伝存する。最近、高野山開創1,200年を記念し、木造のこの大師像を陶により実物大で複製(レプリカ)したものがある。
合掌
2021年4月1日