願成就院(がんじょうじゅいん) 参拝

 去る7月25日、伊豆の国市(伊豆長岡)にある高野山真言宗願成就院に参拝しました。ご存知の方も多いと思いますが、この寺には運慶作の御仏が五体、お祀りされています。本尊阿弥陀如来座像、不動明王、矜羯羅童子((こんがらどうじ)、制吨迦童子(せいたかどうじ)の三尊立像、毘沙門天立像です。
 確か2017年に上野国立博物館で開催された「運慶展」にはこの中の毘沙門天のみが展示されていたと思います。東京より割と近くの場所に運慶が彫った仏像があるのはここだけかと。
 国宝の仏像が間近かに見られ参拝することができるということを楽しみに夏の1日、車を伊豆まで走らせました。
 寺の創建は寺伝によると奈良時代に創立されたと伝えられるが、明らかには、「吾妻鏡(あづまかがみ)」の記録より1189年源頼朝公夫人、尼将軍北條政子の父で鎌倉幕府初代執権、北条時政公が頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝を祈願して建立したものであり、その後は北條氏の氏寺として二代義時公、三代泰時公の三代にわたり約半世紀の歳月を費して堂塔が建立された。その伽藍構成は奥州平泉の藤原三代の遺業として伝えられる中尊寺、毛越寺(もうつうじ)、無量光院三寺院の中の毛越寺を模(も)したものとされる。
 しかし、こうした繁栄も兵火にみまわれ、次第に衰運となり、室町時代には多くの堂塔が灰燼に帰し、更に戦国時代には豊臣秀吉の小田原攻めの折、再び兵火に見舞われ、ますます時運は衰えた。
 寺の創建時より大御堂にお祀りされてきた本尊阿弥陀如来、不動明王三尊、毘沙門天の五体の尊像は胎内に納められていた四枚の五輪塔婆形銘札によって、1186年にこの寺の開基である北條時政公の発願によって運慶が制作した仏像であることが明らかとなっている。
 運慶35才頃の作とされ、鎌倉幕府成立に関わった東日本に現存する最古の運慶仏である。
 運慶自らが初めて世に問うた極めて意欲的で革新的な挑戦作であるとされ、国宝に指定されている所以(ゆえん)である。(「願成就院の歴史と仏像の定義」より要点のみ抜粋)
 この寺に着いた時間が道路渋滞により予定より遅くなったため、閉館時間ぎりぎりとなってしまったが、女性の住職より懇切丁寧(こんせつていねい)な説明を聞くことができました。
 本尊阿弥陀如来は完全復元までにはまだ台座の修復等に大変な費用がかかる。又、この五尊をお祀りしている大御堂(鉄筋コンクリート)自体も大変古く建て替えも検討せざるを得ない状況であるとか、国宝を保存、維持していくご苦労を感じました。
 そして更に驚いたのは、この国宝五尊の前で毎月28日に護摩が焚(た)かれているという話です。私は思わず「大丈夫なのですか」と聞きましたら、「十分に気を付けて行っている」との返事でした。普通でしたら宝物館に安置保存、見学してもらうのでしょうが、お堂の中の至近距離で参拝でき、しかもその前で護摩が修されている、ということにはびっくりしました。
 鎌倉時代より令和の時代まで連綿として"生きた仏"として存在している。誠にすばらしいことであると感じました。流石、運慶の魂のこもった気迫に満ちあふれた尊像であることを思い知らされた気持ちになりました。

合掌
2024年08月02日