三峯神社 参拝記

 去る4月3日、いつも通り朝4時からの月例聖天浴油供を勤めた後、7時すぎには聖天参拝会のメンバーの迎えの車にて埼玉県秩父市にある三峯神社を目指しました。午前中は何とか曇天ですんでいましたが、到着する頃には小雨状態となりました。
 三峯神社は海抜1,100mの山上にあり、一般に三峯山といわれています。この名称は雲取、白岩、妙法の3つの峯が特に秀れているところから名付けられたものです。雨にけぶる雲海を下に見て身心が清められる思いになりました。
 当山大縁起によると 「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が東国平定に赴(おもむ)いた時、「いざなぎのみこと」「いざなみのみこと」 をここにお祀りしたのが始まりと伝わっています。その後、この三山を信仰の対象として修験の山として栄え江戸時代までは別当観音院が支配していました。
 特に平安時代に弘法大師が登山、十一面観音を奉祀、天下泰平を祈り、以来、僧侶の奉仕するところとなり、江戸時代には聖護院天台派修験、関東の総本山として重きをなし幕府より10万石の格式を得ていたということです。
 その後、下って明治維新の神仏分離により仏寺を閉(と)じ神社のみとなった訳ですが、仏寺時代には本堂、護摩堂等があったのが古い山内図を見ると分ります。
 今回、この三峯神社に参拝したのは、この仏寺時代にお祀りされていた十一面観音、聖天が「三峯山博物館」に展示されているのを知ったからです。どんな聖天様がお祀りされていたのかを見たかったからです。
 まず、参道入口の左側にある博物館に入り、色々な展示物を見ていると奥まったところに仏寺時代の仏さまが展示されていました。
 不動明王(護摩供本尊)、十一面観音、役行者(えんのぎょうじゃ)小角(おずね)二鬼像、両界曼荼羅、そして歓喜天2体(銅天と木天と思われる)。歓喜天こと聖天様は2体ともお厨子(ずし)は開かれたままなので、我々は仏身を直接、拝しながら浴油もされていただろうと昔日(せきじつ)に思いを馳(は)せました。
 しかしその一方、皆でこの尊は閉眼供養はしてあるのだろうか、してあるにしてもこのような状態で秘仏たる聖天様が一般の人の目に触(ふ)れるのは如何(いかが)なものかという話になりました。
 我々にとっては聖天様のお姿を見ることができ嬉しい気持でしたが、反面、複雑な思いで博物館を退出し、拝殿で参拝、お祓(はら)いを受け、その後、食堂にて昼食をとり、次の目的地「玉堂美術館」へと向かいました。
 川合玉堂はいわずと知れた日本画の巨匠にして、明治、大正、昭和の三代にわたり日本芸術文化の振興に大きく貢献しました。玉堂が昭和19年から昭和32年に亡くなるまでの10年余を青梅市御岳で過ごしたのを記念して、この地に美術館が建てられたのです。
 多摩川の清流の岸辺にある静寂な空間に建つ玉堂美術館は、清澄にして気品のある独自な作風の玉堂絵画を充分に堪能(たんのう)させてくれました。
 今回は三峯神社参拝が目的の1日旅でしたが、政治や権力による゛宗教改変゛とでも言ったらよいのか、お大師さまより永く続いてきた神仏混合(こんごう)というより神仏一如(いちにょ)の伝統が簡単に壊(こわ)された1つの証(あかし)を肌で感じる機会となりました。
 これからもこのようなことがあってはならない、又、させてはいけないという思いを深くいたしました。

合掌
2024年04月11日